2017年9月16日土曜日

上月八郎左衛門

阿波の国、三加茂、この地は、植生が豊かで、三加茂の大楠と称される、それはそれは大きな楠が現存する。そして、山間部に一歩踏み込めば、岩陰遺跡が点在する。縄文期の遺構である。そして、近世に入ると、此処に、上月(こうづき)文書なるものが現れる。さて、上月氏、あの播磨守護職、赤松氏の一門衆である。何故、阿波の国にと奇異な感がするかもしれない。実は、豊臣政権の四国侵攻の後、蜂須賀氏を阿波の国主に据えた際、赤松氏にも阿波の住吉に一万石を与えたのである。豊臣政権の施策の特性として、一武将に一国全部を与えなかったことがある。例えば、讃岐生駒氏に関しては上坂氏、阿波蜂須賀氏に関しては赤松氏といった具合である。阿波に関しては、他にも、稲田氏、森氏等の与力が知られている。ただ、関ヶ原の合戦以降、状況が一変し、先に記した赤松氏は滅亡する。ただ、その支族、上月氏の名が、拙宅に伝わる「生駒家家臣分限ノ記」に記されている。赤松氏改易後、移って来たのであろうか。それとも、生駒氏が山陽筋にいた折に抱えられたのであろうか。何だか、興味が湧いてきた。少し調べてみたく思う。
合掌。


上月八郎左衛門 (役職:御供番) 
知行高 312石 
知行所 香東郡吉光村1044斗、香西郡笠居之郷100石、香西郡中間之郷10785

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