2016年11月7日月曜日

川北六左衛門

川北六左衛門、この人は、あの西讃岐を領有した守護代、香川氏に繋がる人であった。生駒家に仕えるに辺り、名を変えたようである。生駒家改易の後、浪々、名を香川に復している。
知行地も佳き所を配され、亦、高松城下郭内に屋敷を拝領している。地方の屋敷が何処にあったかは不明であるが、知行所を頼りに調査は可能であろう。
合掌。


合田學著 「寛永年中讃州生駒家知行帳  グラフ篇      分冊-Ⅲ」より


 
 合田學著 「生駒家給人帳、生駒家知行帳、寛永期讃岐の知行形態」より


 合田學校訂 「生駒家家臣分限ノ記」より


合田學著 「生駒時代高松城侍屋敷図(郭内篇)」より

2016年10月17日月曜日

生駒家家臣分限ノ記に見る軍役衆

侍帳(給人帳、知行帳、分限ノ記、分限帳、御給帳、規式帳等々、様々な名称で記される家臣団名簿)には、各大名家の有姓無姓の直臣の名が全て記されています。亦、大身(高禄)の家臣は、自ら数多くの家臣を抱えているのですが、それらの人々は、大名家から見ると陪臣となりますので、先に記した侍帳等の文書には記されません。
ここでは、拙宅に伝わる讃岐生駒藩の侍帳、生駒家家臣分限ノ記を見ていくことに致しましょう。
映画「天と地と」の合戦シーンで、上杉謙信旗下の柿崎和泉守率いる騎馬隊、或いは付随する足軽隊が登場、佳き武者振りを見せてくれましたが、そうした戦闘集団を、讃岐生駒藩の場合、九組、常備していました。所謂、大番組と称する戦闘ユニットで、各組、総知行高一万石平均で構成されています。動員兵力は、戦場の遠近にも依りますが、三百人から五百人、こうした戦闘集団が九つ、これ以外にも、予備が三組、そして、槍隊、弓隊、鉄砲隊、或いは、作事・普請といった工兵隊から、軍役衆が構成されていました。
合掌。













2016年9月15日木曜日

生駒藩政史料のPDF化、及び、電子媒体での提供

讃州御国中村切高惣帳表計算篇


上坂氏顕彰会が刊行した生駒藩政史料のPDF化を開始いたしました。
今後、電子媒体での提供が可能となります。
合掌。

合田學著 生駒家給人帳、生駒家知行帳、寛永期讃岐の知行形態(第四版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳、生駒家寛永知行帳(第三版)
合田學著 生駒家家臣分限ノ記、校訂者補遺、デ-タベ-ス編(第四版)
上坂眞信著 生駒家家臣団の解体(第二版)
合田學編纂 生駒家家臣分限ノ記 テキスト、グラフ篇-1(第二版)
合田學編纂 生駒家家臣分限ノ記、五種の生駒家侍帳に於ける記載の異同
合田學編 生駒藩組分侍帳(第三版)
合田學著 生駒家襲封期高松城下家臣団屋敷図 郭内編
上坂眞信著 寛永年中讃州諸郡知行主総覧(第三版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 表計算篇(第三版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 表計算篇(第二版)
合田學著 寛永年中讃州生駒家知行帳 グラフ篇(第三版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 分析篇 郡-Ⅰ
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 分析篇 郡-Ⅱ
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 分析篇 郡-Ⅲ
合田學著 四種の生駒家侍帳に於ける記載の異同、生駒宗家直轄地一覧(第二版)
合田學著 生駒家家臣分限ノ記 表計算篇-1 五十音順(第二版第二刷)
合田學著 生駒家家臣分限ノ記 表計算篇-2 組分(第二版第二刷)
合田學著 生駒家家臣分限ノ記 表計算篇-3 給知高順(第二版第二刷)
合田學著 新稿 讃岐に於ける新田開作
合田學著 讃州生駒家に於ける給人知行の概要(第四版)
合田學著 讃州御国中村切高惣帳 グラフ篇
合田學著 寛永期讃岐の新田開作
合田學著 生駒宗家寄進寺社領の存在した寛永期讃岐の郷村
合田學著 明知行の存在した寛永期讃岐の郷村
合田學著 讃州大内郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州寒川郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州三木郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州山田郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州香東郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州香西郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州南條郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州北條郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州宇足郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第四版)
合田學著 讃州仲郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第四版)
合田學著 讃州多度郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州三野郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第三版)
合田學著 讃州豊田郡志 史料篇-1 生駒氏統治時代(第四版)
合田學著 讃岐に於ける新田開作(第二版)

2016年8月20日土曜日

生駒家家臣分限ノ記に名が記されている寺

生駒家家臣分限ノ記に名が記されている寺を纏めてみた。寺名は、文書の末尾附近に、寺社知行、御初尾米、寺領米ニテ渡スといった三つの項目に分けて、記されている。讃岐国内に数多存在した寺の内、二十五の寺のみが選ばれている。讃岐一国を視野に於いての寺の格付け、興味深いものがある。
合掌。


一、寺社知行

三百六石五斗 松尾領
百五十石 勝法寺<興正寺別院>
百石 法泉寺
百石 玉龍院<京都、玉龍院妙心寺>
六十三石八斗 国分寺
六十石 白峯領五十石 弘憲寺
五十石 誕生院<善通寺>
四十三石三斗二升 屋嶋寺
四十石 けんぎょう與<寳壽院神宮寺>
二十石 千手寺<専修寺>
十八石二升 根香寺
十八石 見性寺
十石 観音領<志度寺>
九石三斗 まんだらじ<曼陀羅寺>
八石 石清尾宮坊<宝寿院>
六石六斗 興昌寺
三石九斗七升 萩原寺
二石五斗 菩提寺<菩提院>
二石一斗 財田中乗覚院<高橋氏>
二石 柞原寺
一石九斗 福成寺
一石五斗四升 持寳院<本山寺>
一石 覚城院
九斗六合 高林寺<専立寺>


一、御初尾米


切米十石 萩原寺 

切米五石 薬師坊<鞍馬>
切米五石 窪之坊<高野山> 
切米五石 地寳院<高野山>


一、寺領米ニテ渡ス


切米四十石 寒松院

切米三十石 香林寺