「寄合組」を「組はずれ」と記す写本侍帳も存在する。
非常時に、生駒河内、前田刑部、入谷助之進の指揮の下、諸士の子弟にて、大番組を編成する。
生駒河内の母は、二代一正公の娘、山里。
前田刑部の出自は定かでないが、寛永10年の人事関係を記した生駒高俊発給文書に扶持方80人扶持との記載がある。
入谷助之進は、生駒氏親族、入谷氏の総領。父は外記。一族の知行は3995石、内、395石は自分開の新田である。
1000石以上の士で自分開の新田を持つものは、生駒河内、入谷助之進、三野孫之丞の三人のみ。
讃州生駒家家臣 中山氏
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本稿では、藩政末期に編纂された侍帳に名が見られない中山氏をご紹介申し上げる。
中山氏の初出は、
文禄五年(一五九六年)の奥書のある「生駒殿願文」である。本書には、藩主以下、百九名の氏名が列挙されており、生駒家襲封初期の家臣団氏名を知る上で稀有の史料である。そして、本文書の四十四番目に中山勝三郎、九十五番目に中山喜...
7 年前
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